【淡路島・移住者紹介 #003】人生、雨の日も風の日もある。それでも自分色の旗を掲げ続けたい
INTERVIEW #003 |
増田さん(1974年生)/2012年、東京都目黒区から淡路島に移住。2017年、淡路島を旅の終着地点に決め、「アトリエ かかし」の最終拠点を淡路市に構える。 |
現在の仕事について
「時に、上下左右に大きく揺さぶられましたが、積み重ねてきた色濃い経験は、全て自分の財産」と、増田さんは言う。
その言葉通り、ジェットコースターのような人生という表現が相応しく、作品にはその半生が滲み出ていました。
増田さんの職業は、画家。
「作品は時期によって作風が異なり、すべてその時にしか描くことのできなかった愛おしい作品です」。
増田さんが絵画を描き始めたのは、約20年前(23歳の時)。キッカケは、世界中を旅していた途中、ケニアで負った大怪我だったそうだ。
10代後半からスタートした世界放浪記
「旅の始まりは、高校卒業後。当時は、やりたいこともなかったし、大学に行ける頭もなかったので、格好つけてアメリカに飛び出したんです(笑)。そうしたら、圧倒的な大自然に魅せられた。それから世界中を転々と」。
アメリカからインドに渡り、カシミール紛争の最前線から一時帰国するも、すぐに台湾からタイ、ネパール、ミャンマーなど、様々な国に足を運び、多くの異文化にコンタクトしたという。
「人種の壁を超えて通じ合えたものが音楽でした。幼い頃から習っていた笛を世界中で吹き鳴らしました」。
タイのロングカレンネック族とのセッション
Instagram@atelier_kakashi より
「旅の途中、ジャマイカではレゲエに夢中になりましたね」と、昔を懐かしみながら1枚のCDを聴かせてくれた。
よくよく伺ってみると、その音源は増田さんが、レゲエ界のレジェンド的存在のバンド「Congos(コンゴス)」とレコーディングした時のものだそう。
Congos(コンゴス)とのセッション
Instagram@atelier_kakashi より
大怪我を乗り越え、画家の道へ踏み出す
「自分の不注意なんです。ケニアで高いところから落ちてしまって、意識不明の重体。日本に戻って一年間の入院生活を余儀なくされました。
殆ど外傷は無かったんですけど、頭を打っていて神経系に影響が出てしまった。まともに歩けなかったし、言葉を発することもできなくなったんです」。
意識が戻って目が覚めたら、「ア…ウ…アウ…」としか声が出なかったそうだ。
その時の増田さんの心境は、想像もつかない。
ただ増田さんの口から発せられた「辛かったですよ」の一言は、とても重たく耳に残った。
「赤ちゃんみたいに不安定でしたが、なんとか歩けるようになった頃でしたね。叔母さんが僕の手を引っ張って、画材屋さんに連れて行ってくれたんです。リハビリに絵を描いてみたらって」。
その時、叔母さんに購入してもらったのが、このイーゼルだ。
その後、増田さんは、神経の感覚を取り戻しながら絵画に傾倒していく。
世界中を放浪してきた経験をバックグラウンドにインスパイアされた増田さんの作品は、次第に周囲から高い評価を集める。日本美術の登竜門の一つ「ニ紀展」で才能を見出され、研究生にも選ばれた。
20代後半の暗く長いトンネル。それでも描き続けた
しかし人生は良い時ばかりではない。
ましてや駆け出しの画家が絵だけで食べていけるほど、美術の世界は甘くない。
当時の増田さんは、東京の清掃会社でアルバイト生活。深夜作業が多く、朝まで働いて、日中のわずかな気力で絵を描く。そんな毎日に、少しずつ肉体と精神が蝕まれていったそうだ。
「今ではとても貴重な経験だったと思えますが、20代後半の5年間は本当に辛かったですね。病院に行ってたら鬱と診断されていたかもしれません。それくらいのどん底感を味わっていました」。
それでも増田さんは、絵だけは描き続けた。
これは当時描いた代々木公園。増田さんはこの時、代々木公園のトイレ清掃を担当していたという。
この絵は現在、「アトリエ かかし」の壁に飾られている。実際に絵を描く場所のすぐ側だ。増田さんの今を支えている、重要な一枚であることが伝わってきた。
その後も、浮き沈みはたくさんあり、色濃いエピソードは書き続ければきりがない。
確かなことは、増田さんが今、画家として自分の足でしっかりと立っていること。そして紆余曲折を乗り越え、今日までに大きな美術コンテストで賞を獲得してきた事実も付け加えておきたい。
・アートインデペンデント コンテスト 入選
・トーキョウワンダーシード 入選
・リキテックスビエンナーレ 入選
「ヒマラヤ教室」
リキテックスビエンナーレ入選作品
Instagram@atelier_kakashi より
最後に、「アトリエ かかし」の由来を伺ってみた。
「雨の日も風の日もじっと大地を見つめ、実りの収穫を待っているような、カカシさん。そんな存在になりたい。どんな時も、立つべき場所で、自分色の旗を掲げ続けたい。
やり続けたから、今の自分がある。皆さんにも、自分の好きなことをやり続けて欲しい」と、増田さんは力強く語ってくれた。
淡路島に移住したキッカケ
20代後半の沈んだ自分を解放するために、増田さんは再び旅に出た。今度は外国だけではなく、北は北海道から、南は小笠原諸島まで日本国内の様々な場所に足を運んだという。
「旅の途中で、愉快な仲間たちとたくさん出会いました。そのうちの一人から、淡路島に遊びにおいでよって誘われたんです。それがキッカケ。
淡路島の豊かな自然が気に入ってしまって、そのまま友人宅に居候をはじめました(笑)」。
そして今から約一年前、小高い山の上から淡路島の海を一望できる場所に「アトリエ かかし」の拠点を構えた。増田さんは、淡路島を旅の終着地点にしたという。
作品には、淡路島の風景画も数多い。
これは増田さんが愛犬たちとよく散歩に行く「多賀の浜」。お気に入りのスポットだそう。
愛犬たちの作品も多くある。名前は、ケン太(白)とゴン太(茶)。
ケン太は、今は亡き叔母さんの忘れ形見。
普段から柔和な表情の増田さんだが、愛犬たちと戯れている時は一段と優しい顔をしていた。
ますだ こうじ展。【自分らしく 好きなことを やり続けよう】
約一年ぶりの個展開催が決定!最近の作品はもちろん、お気に入りや代表作も展示する予定だとか。何より展示会期間中は、増田さんご本人とその場でお話もできるらしい。この記事では書ききれなかったエピソードもたくさんあります。ぜひこのチャンスに、直接聞いてみてください!
<展示会日程>
2018年10月12日(金)・13日(土)・14日(日)
10:30〜17:00
<開催地>
島の恵みジェラート のら(兵庫県淡路市下司118番地)
◎増田さんより
淡路島の自然の恵みを使った美味しいジェラートが食べられます。心地の良い空間で絵をゆっくりと眺めながら、美味しいジェラートと共に楽しいひと時をお過ごしください。
※追記:増田さんのイベントは大盛況で終了いたしました!
増田さん、お忙しい中、ご協力ありがとうございましたー
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません