洲本市桑間にある岩は、郡界標石だった❗️岩肌には、弘法大師が彫ったお地蔵様も( ゚д゚)/

2020年1月17日

車で前を通るたびに気になっていた、この大きな岩。

淡路島・洲本市に移住して3年、この謎を解き明かすべく、遂に車を停めました。

で、この岩の正体は、郡界標石でした❗️

昔は、この岩から西側が三原郡で、東側が津名郡だったそうです。

岩の横に立つ石柱(現在はこの石柱が郡界標石)に、「従是西三原郡東津名郡」と彫られています。

達筆なので定かではありませんが、この大岩の前にある石柱に「桑間岩鼻」とあるように見えます。西岩鼻とか桑間村岩鼻とか、書き方は様々あるようですが、「岩鼻」と呼ばれてきた石のようです。

洲本市桑間にある郡界標石の由来

郡界標石

高さ一六五センチ 幅三〇 × 三〇センチ
宝歴十四年(一七六四)建立

郡界標石とは郡の境界を示す石標の一種で、この表面には、「従是西三原郡東津名郡」と彫られている。かつてこの地が津名、三原両郡の境界であった。

この石標は江戸時代に著わされた郷土史「味地草」に「山崎の西岩鼻にあり、この標石は宝歴十四年申年洲本の石匠某三人官所に願を経て建立す。府下の士今田某の書くところなり」と記録されているものであったが長い年月行方不明であった。

ところが数年前に発見され、このたび関係者洲本市教育委員会のご好意により、もとあった場所に再建しえた。ここに再建を記念しその由来を記すものである。

昭和六十一年五月

郡界標石の看板より

高さ165cm × 幅30㎠

現在のこちらの郡界標石も、全国的に珍しいものらしいです。

今や標石なんて、こんなもんですからねー😁

そして、この桑間岩鼻が面白いのは、逸話が残されているからなんですねー😙

郡界標石に刻まれたお地蔵様

岩鼻がある場所は、地蔵様を御本尊とした二躰地蔵堂。

ここには弘法大師の像があり、

足下にある石碑を読むと、どうやら岩鼻には弘法大師が自ら彫ったお地蔵様があると∑(゚Д゚)

地蔵様縁起

御本尊の地蔵は、大きな岩の鼻に、二体刻まれていました。
弘法大師がお手づから彫られたと伝えられています。
この地は、津名郡と三原郡の境界であり、かつ大きないわは、海に突き出たものであったと推定出来ます。
御利益が優れ、特に治病の地蔵様として信仰されています。
岩に亀裂が生じていましたので分離して本堂に安置しました。

一九九六年三月吉日
地蔵堂建設委員会

地蔵堂の石碑より

弘法大師が彫った地蔵様が2体なので、二躰地蔵堂なんですね。

「岩に亀裂が入ったため、地蔵様を分離して本堂に安置している」とのことですが、岩鼻を確認したら1体のお地蔵様の姿は見てとれました。

岩鼻を反対側からみると、こんな感じに凸凹になっています。

お地蔵様だろう彫りこみがあるのは、上の画像の、中央少し右側の飛び出た部分。

分かりますか?

さらに拡大。

うっすら見えると思います。

経年劣化で、彫りの凹凸が浅くなってしまったのでしょうね。

推測ですが、こちらの地蔵様が「弘法大師が刻んだ」と石碑に記しているものだと思われます。

あと一体のお地蔵様は、亀裂が生じたために本堂なのでしょう(たぶん)。

この弘法大師の彫刻を見て思い出したのは、洲本・水の大師にある仏像。こちらも弘法大師の彫刻という逸話がありますが、同時期に彫ったのかしら😁

千だんごの祈願

最後に、この岩鼻に関するもう一つ面白い逸話をご紹介。

宝暦年間、阿波藩の家老稲田九郎兵衛が江戸で大病を患ったときに、夢枕で「わたしは淡路の国、桑間村岩鼻の二躰地蔵尊である。わたしを祭ってくれるならば、悪病も平癒するであろう。」とお告げがあり、桑間で地蔵尊二体が彫り込まれた岩を掘り起こし、一千個のだんごを供えて祈願したところ、家老の病気が治ったという伝説がある。その後、ここにお堂を建て、祭りの日には「千だんご」と呼ばれる小さなだんごが供えられている。

淡路の伝統芸能と文化より

この伝説から、二躰地蔵堂は治病の地蔵様として信仰されているのですね。

こんな逸話が淡路島にはたくさんあるんでしょうね。

またどこかで面白い逸話と出会ったら紹介していきたいと思いま〜す😁

郡界標石の近くにある淡路島グルメ

この辺りは、淡路島の人気グルメがたくさんですよ〜😁

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